· 

レシピに込められた人生の味

 
 結婚し家族が増えて、毎日料理をするようになった。食べることは好きでも、自信をもって人に振る舞えるほどの腕前ではなかったので、毎回料理本を見たり、インターネットでレシピを検索しながら、この2年、なんとかかんとか日々の食事をこしらえてきた。
 
 韓国人の夫と韓国で暮らしていることもあり、自ずと食卓には韓国料理がよく並ぶ。豆もやしナムル、韓国おでんの炒め物、カタクチイワシとナッツの甘辛炒め、ニラのサラダなど、何度も作るようになったおかずのレシピは、時々ノートに書き留めている。
 
 それは最初、忘れっぽい自分のためだったけれど、もしかするといつの日か、家族のためにもなるかもしれないと、韓国映画『엄마의 공책(邦題:お料理帖~息子に遺す記憶のレシピ~)』を観て思った。

▲出産1か月前のある日の夕食。メニューは韓国式ハンバーグ「トッカルビ」、エゴマ・鱈・エホバク・シイタケの「ジョン」。ニラとタマネギのサラダ、豆もやしナムル、麦飯、テンジャンチゲ。大根のキムチは義母の手作り

 
 映画に登場するおかず屋さんを営む母親は、コチュジャン(唐辛子味噌)、テンジャン(味噌)、カンジャン(醤油)、果物や薬草のエキスなど、何でも自分の手で作り出す。夫を早くに亡くし、2人の子どもを育てるためにおかずを作って売り続けてきた女性だ。
 
 家族にとっては毎日食べてきた何てことのない母の味だが、お客さんたちにとって彼女の料理は、まさに「食べる薬」。人の身体や心の痛みまで癒してしまう希少な味だった。
 
 でも家族は、母が少しずつ記憶を失い、認知症を患うまで、ずっとそのことに気づかないでいた。母の手料理が当たり前のものになりすぎていて。
 
 人は、何かを失いかけて初めて、その尊さに気づくのかもしれない。私は韓国に住むようになってから、特に息子がお腹に宿ってから、時々無性に母の味が恋しいと思うようになった。
 
 鯖の味噌煮、蓮根のきんぴら、コロッケ、餃子、団子汁…。懐かしの手料理を韓国で作ってみようと何度かレシピを尋ねてみたものの、いつも目分量で作っているという母。仕方がないので、とりあえず聞いた通りに作ってみたのだけれど、全然違う。母の味じゃない。
 
 私が幼い頃から台所に立って、母と一緒に料理をするような孝行娘だったなら。醤油・味噌・みりんを始め、隠し味に使っている調味料などのすべてを韓国で手に入れることができたなら。私は母の味を再現できただろうか。

▲2012~13年の韓国留学中、9か月ぶりに一時帰国したその日、母が作ってくれた夕食。メニューは牛カツ、ポテトサラダ、ホウレンソウの和え物、いかなごのくぎ煮、梅干し、ご飯、みそ汁だった

 
 誰かのために毎日料理を作るということは、段取りや下準備、食物や調味料や調理器具の知識、それらを自在に操れる技術、そして食べる人への配慮などが必要とされる。おいしさを見極める舌と、それを再現できる創造力もだ。
 
 要は「料理は一日にしてならず」ということ。どれだけ台所に立ってトライ&エラーをしてきたか、その経験がものをいう世界なのだ。だからこそ、家族のために長年料理をしてきた人の味には、ちょっとやそっと真似したところでは出せない風味と風格があるのだろう。
 
 そしてもう一つ。例え同じ材料や調味料を使って料理しても同じ味にならないのは、料理の経験値だけでなく、その人が今まで何を食べ、誰と生き、何を考えてきたか? 作る人の人生がにじみ出てしまうからではなかろうか。
 
 韓国にはそれを表すかのように「손맛(手の味)」という言葉がある。料理には作る人それぞれの持ち味が出る、という意味でもあるし、おふくろの味を指すこともある。
 
 韓国では例えばキムチやナムル(和え物)を作る時、具と合わせ調味料を菜箸ではなく、手を使って混ぜ合わせている光景をよく目にする。衛生面に配慮して手袋をはめているとはいえ、これがまさに「手の味」の由来ではないだろうか。実際にやってみるとよくわかる。菜箸で混ぜた時とは、仕上がりが全然違うのだ。

▲2019年12月、夫の実家で行われたキムジャン(キムチ作り)のひとこま。塩漬けした白菜一枚いちまいに、手製のヤンニョム(合わせ調味料)を手で塗り込んでいった

 
 母や父、祖母や祖父。誰かの「손맛(手の味)」を自分のものにするためには、単にレシピを真似するだけではなく、その人の生きざまを知ることが近道なのかもしれない。
 
 母はどうやって生きてきたのだろう?どんな思いで毎日数々の料理を作ってきたのだろう。次に帰国する時はレシピノートを鞄にしのばせて、母の言葉をできるだけ書き留めてきたいと思う。
 
 映画『엄마위 공책(お料理帖(~息子に遺す記憶のレシピ~)』は、1月11日から兵庫県•元町映画館で公開される。

次の記事⇒ ツルニンジンを食す春

前の記事⇒ それぞれの未来へ